■Called name.


 いつもいつも。
 このオッサンは、優しいのにムカつく人だと思う。
「バイト君」
 店長はずっと柔らかい声音でオレをそう呼ぶ。だけどそれが名前になったためしはない。オレはずっと気に食わない。
「伊智ですッ」
 語気を荒げて抗議しても、取り合ってもらえたためしもない。出会った時すら『そこの君』だった。笑顔も声音も変わらない。ずっと優しいまま名前だけは呼ばれない。
 そのとき貰った名刺は今でも持ってる。けど、名前のところには『魔法骨董道具店Encore 店長』とだけ書かれてて、アタマ悪いオレにだってそれじゃダメだろってわかるシロモノだ。
 なんでかはわかんない。でもやっぱいちいち名前で呼ばれないってなんか居心地悪くて腹立つんだ。

「お茶にしようか、クッキーとチーズクラッカー、どっちにする?」
 オレの内心なんて知ってか知らずか、テレビドラマで出てきそうなカップに紅茶を注いで店長は毎日言う。お茶請けは毎日ちょっとずつ違うけど。
「クラッカーのが好きです…」
「言うと思ったよ、バイト君はどうやら歯応えのあるものが好きみたいだねえ」
「だから伊智ですってば!」
 あんた絶対わざとだろ。
 へらへら面白がってるような笑顔がまた腹たつんだ。
 苦い顔になってるのが自分でもわかる。すると店長はそこにお茶を渡してくる。それもとびっきりいい匂いのお茶。モノで釣られてるわけじゃないけどちょっと和むのが悔しい。
 くっそー!!
 コレも全部解ってやってる気がしてそれがヤなんだよ。
「火傷しないようにね?」
「わかってますよ!」
 ほら、こんどはダメ押しで『バイト君』って呼ばない。しかもオレが怒ると周り見えなくなるのわかってて注意する。……さりげない気遣いが上手いんだと思う。オレ、そういうのに気づくほうじゃないけど、店長くらいいろいろ気にしてくれるとさすがにわかるんだよ。
 そこもなんとなくヤだ。
 優しいのに意地悪で、意地悪なトコもあるのにとびっきり優しくて。
 とびっきり優しいのに―――。
 ガリガリ音のたつクラッカーを食べてると、
「美味しい?バイト君」
 やっぱり名前を呼ばずに聞いてくる。
 それがたぶん、オレには。『君のところに行く気はない』んだって言われてる気になって仕方がない…んだとおもう。自分でもよくわかんないけど。
 だって親しくなったら普通に名前で呼ぶもんじゃんか。
「…………」
 店長の問いには答えず改めて考えてみる。
 尾上と木市とは仲がいい。下の名前では呼ばないけど、そこの同級生!なんて呼んだらすっげー違和感。他の連中だってそうだ。田中に長野に山内に、川田に三園に牧屋に津久田。特別に仲良いってワケじゃないけど、普通に話すしメシ食ったりもする。そんな奴らだって、同級生!なんて呼びかけたら…なんか気持ち悪い。
 同級生って呼んで違和感無いって言ったら、やっぱ一番端っこのクラスの、名前も知らない女子とかだと思う。『なあ、そこの。集会って体育館でいいっけ?』そんなレベル。
 店長にとってオレってそんな遠い存在なのか?
 たぶんそれがなんかヤなんだよな。他はすごく…、担任とかよりずっと親身になってくれたり、するのに。別に変な意味じゃないけど、なんていうか…。
(何でそんないつまでも、そんなとこに居んだよって感じ?)
 優しい笑顔で、声で、気遣いで。親戚のおじさんなんかよりずっと親切なのに、名前だけは絶対に呼ばない。それが妙に気になるんだ。
 だってオレ、本当は迷惑なんじゃないよな?
 だったらなんで、普通の距離に来てくれないんだよ。魚屋のにーちゃんだって、何度か通ってたら名前覚えてくれたんだぞ。滅多に会わない隣のオバちゃんだって、オレのこと名前で呼ぶ。そんなすごく普通のコトなのに、なんで?
 それに。
「店長」
「どうかしたかい?」
「いい加減店長の名前教えてください」
「はははは、ありがとう。そう思ってくれて」
 このオッサン、いつも聞くとこうやって笑顔でごまかしやがんの。
 オレは店長が人に名前で呼ばれてるところも見たことがない。もちろんオレにも名乗らない。なんでだよ?オレがそっちに行くのも嫌なのかよ。
 っつーか、誰にも名前呼ばれたくないってどんな病気だよ。
 それでオレのぶっちょーづらに気づくと店長は、いつも。……真面目に、優しく、ちょっと困ったような、顔をする。
「そのうちにね?」
「…絶対ですよ」
 なぜかその顔をされると、どうしても聞きづらくて。
 バツ悪くなって、引き下がる羽目になる。なんかずるいよな……。

「バイト君」
 柔らかい拒絶。
「なんですか、店長」
 柔らかい拒絶。

 名前で呼んで、なんて。
 どこのバカップルだよ!って感じで、オッサン相手になに言ってんだって自分でも思うけど。どうしても気になって仕方ない。自分でもどうしてこんなに拘るのか、……下手すりゃ泣きそうなくらい辛いのか、ワケわかんね。
 だからまたムカつく。

「…ご機嫌斜めにしてごめんね?ちょっとからかいすぎたかなあ、あはは」
「解ってるんなら!!」
 オレの様子を見ながらそういって笑う店長に食って掛かると、
「名前はね」
「え?」
 急に名前の話に戻って、ちょっと拍子抜けした。
 いつもならこのまま煙に巻かれるから。
「君が一人前になったら呼ばせてもらいたいなあ。まだまだ見習いバイト君だからね、早くちゃんと呼びたいものだよ?」
「なっ……」
「そのためには、まず、いい加減一日平均三個ペースで壊す暴走魔法を上手くコントロールしてもらわないとね♪」
「わ……」
 やっと。
 初めてだ。ホントに今、今日、初めて。
 約束してくれた?
「わ、わっ!わかりましたよっ!!練習すればいいんでしょ!?」
 クラッカーをお茶で流し込んで立ち上がる。なんだよ、そういうことだったらさっさと言ってくれたらよかったのにさ!…って、なんでオレも浮かれてるんだか。
 でもやっぱり、名前ってすごく大事だと思うから。ホントになんでか、わっかんねーんだけど、この人にそう言ってもらえて、うれしい。
「絶対さっさと店長なんか追い越して一人前になってやるからなー!!」
「はいはい、待ってるよ。バイト君」
 俄然やる気出てきた!絶対すぐにでも一人前だって認めさせてやるんだからな!!
 ―――あ、でも。もしかして、オレのやる気出させるためにわざとバイトバイト連呼してるんだったとしたら……?
「ほら、頑張ってね?バイト君♪」
 ……このオッサン、実はやっぱり性格悪いんじゃないだろーか。


   ◇◇◇


「―――次も頑張ってね、バイト君」

 でもいつか呼んでくれますよね?

「わかってますよ、店長」

 柔らかな拒絶よりも。
 オレはここで、この力で、オレとして、必要とされたいと思ってて。
 その名前までなくさないように頑張るから。
 頑張ってるから―――

   ◇◇◇


「……さようなら」

 呼ばれる名前すらない、小さな絶望を知った。


end.




■Substitution.



 目覚めは、クラクションと共に訪れる。

   + + + + +

「…れ、止まれ―――ッ!!」

 ゴッ。
 落下感と共に鈍い音が響く。額を床に打ち付けたからだと理解するよりも早く、鈍痛が襲う。
「…〜…っぐぁー!!クソっ!」
 こんな日の寝起きは十中八九、最悪だ。八つ当たりでベッドの足を殴りながらうめいて悪態をつく。
 悪夢じゃない夢を、起きざまに覚えていたためしがない。夢を見ない日もあるが、夢を見たときはだいたい魘されて目を覚ます。
 そうやって今叫んだ自分の言葉が、おなじみの行動だったと理解するまで数分。その間にとりあえず、痛みと眠気は去っていた。
 どうしようもない低血圧だが、寝覚めが悪いわけではない。体は動かないが。
 フローリングは綺麗だから寝ていても問題は無い。ひんやりしていて気持ちいい。悪夢に上がった動悸が治まるまでそのまま待つことも、まあ珍しくは無かった。
 それが普通だと思っていた。幼馴染に童顔親友のバカ二人に、おかしいと言われるまでは。
 『カラーの夢なんてほとんど見ないし』とは幼馴染。『そもそも羊が空飛んで鯖が降って来るような夢しか見ない』とは親友。鮮明な記憶がリピートされるように同じ内容の夢をよく見るのは、少なくとも周りじゃ自分だけらしい。
 頭を振る。ゆっくりと体を起こす。起立性貧血はたちが悪い。ホワイトアウトしてる場合じゃない。
 考えている場合でもなかった。何も考えずに行動を起こせるまで回復すべきだ。何もしないうちから疲れ果ててちゃどうしようもない。
 時計を見て溜息をつく。時間が無いわけではなく、だるいからだ。時間はむしろ十分にある。4時間しか眠れなかったらしい。それもわりといつものことだ。今日は特別短いほうだが、不規則のせいか目は冴えた。眠気にも問題は無い。

   + + + + +

 ものの十五分ほど休めば、あとはいつもどおりだ。とりあえず今日も食事を作らなければいけない。そう思って適当に服と眼鏡を引っ掛けて階下に向かう。
 それなりに広いリビングダイニングに降りると、なにか音がしていた。不規則で物騒なドン、ドンという音。
 にんじんか。ジャガイモかもしれない。根菜類を切り分ける音だ。
 そっとキッチンへ近づくと、自分の腹くらいまでの背しかない小学生が、踏み台の上に乗って必死に食材と格闘していた。
 気づかない―――。
 沈黙したままその姿を見守る。セミロングの黒い髪を、後ろでひとつに縛った尻尾がひょこひょこしている。自分も髪を縛ったらこんな姿なのかと微妙に思うが、そのまま薄暗いキッチンの灯りに輝くはやりモノのヘアゴムを見ていた。
「…シュリ…。おい、朱里」
「わっ!?」
 包丁をいったん置いて、学校で貰ったらしいわら半紙のレシピに手を伸ばしたところで声をかける。案の定びっくりして重ねたボウルをがたがたとシンクに落としながら、目をまん丸に開いてこっちを見る。
 苦い顔になるのが自分でもわかった。
「包丁はやめろ。やるなら、せめてピーラーとか使え。あとにんじんとかじゃがいもはできるだけ切るなっつったろ。間違ってもかぼちゃなんか切ろうとすんなよ」
「兄ちゃんいつ居たのー!?」
「話、聞けよ。飯なら俺が作る。いいからどけ」
「やだーっ!!朱里が作る!今日は兄ちゃんに朝ごはん作っとくって決めたの!家庭科で家族に作ってあげたら喜ぶって言ったし!!」
「朱里。いいから……」
 妹の朱里は小学六年生。とろくてわがままで甘くいくせに、マセてきてなんでも一人でやりたいのか、料理に手を出したいのか…そういう年頃らしい。
 不器用なのに包丁を握りたがるし、てんぷらなんかしようものなら揚げさせろと言ってくる。危なっかしくて見てられないから止めろと言い聞かせるが、今日のように火がつくと勝手に台所に立とうとする。
 いきなり指を切り落とすような無茶なことはさすがにしないが、何かあってからじゃ遅い。
「―――いいか、何かあってからじゃ遅いんだ」
「そうだけど〜…」
 しかめっ面の迫力に気おされたか、不満を満面に浮かべたままぶかぶかのエプロンを脱いで手渡してくる。
 それを手早く身に着けて、わら半紙のプリントに目をやる。ありがちな文書処理ソフト丸出しな出来の紙面には、にんじんのきんぴらと書かれていた。
 別のものにしないと、きっと朱里は拗ねる。
 たんざくになる前のぶつ切り状態なにんじんを手にとって朝食のレシピを考えながら皮を剥いて行く。その手際を見てさらにふくれっつらになる妹の顔をちら見して、とりあえずにんじんのパンケーキだけは確定した。
「それに、お前な。ガキのうちはガキらしくしてりゃいいだろ。こういうのは全部俺がするから。
 ゆっくり寝て、起きたら飯があって、弁当の心配もなしに学校行って、好きなだけ遊び倒して来い。それのが楽しいだろ」 
  「じゃあ兄ちゃんは楽しくないじゃん。だからたまには朱里がごはん作ろうと思ったんだもん」
「……。俺はお前に飯作るのが好きだから、いんだよ。それにもうガキじゃねぇ」
 小麦粉や卵を取り出すついでに材料に目を走らせながら、理屈を捏ねてくる小学生に溜息をつく。
「でも大人じゃないよ。お父さんが居れば兄ちゃんは―――」
「朱里」
 口を尖らせる妹に咎める声音で言うと、輪をかけて不満そうに口を噤む。
 妹が自分を想っての事なのは、わかる。でも少しむずがゆい。そんな風に労わられるようなことじゃないから。
 それに母親が居なくて、父親は多忙なサラリーマン。自分が面倒を見るのは当然でもある。
 そんなこっちの気持ちを知る由も無く、椅子にもたれて不機嫌そうなままの妹姫のご機嫌取りも自分の役目だ。
「……パンケーキにしてやるから。もっかい寝て来い。二度寝するくらいの時間はあんだろ」
「ほんと!?」
「ああ」
 ころっと音がしたかのように顔を輝かせるところは嫌いじゃない。
 なんだかんだ言って、一生懸命頑張ってるんだろう、自分なりに。
 しかしその必要は、ない。
「…………。朱里」
「なにー?」
「無理に……、大人になんかなんなくていーからな。俺みたいにヒネくれるぞ」
「にーちゃんみたいにヒゲ生えちゃう?」
 卵を割り損ねる。
 どこで覚えてくるのか、そういう切り替えしを。
「ああ、だからやめとけ。お前は…そのままで居ろ」
「でも、朱里もなんかしたい時、あるんだからー!」
「気持ちだけ貰っとく」
 まったく、と呟きながら殻を取り除く。ボウルの中の卵の殻は、なかなか取れない。指を動かしながら顔を見ずに釘を刺しておく。
「だから、父さんを悪く言う必要は無い。俺はずーっと好きでやってんだよ。お前らの面倒見るの楽しいからな」
「ほんとにー?」
 機嫌はそこそこ直ったらしい。振り向いて一つ面白そうに笑いかけてやる。
「あー。時々ムカつくけどな〜」
「なにようー!朱里もにーちゃんにムカつくから引き分けでしょ!!」
「はは…。そうだな。もういいから寝て来い」
「むー、はーいぃ」
 明るくなってきたが、まだ眠れるだろう。あくびを噛み殺しながら自分の部屋へ帰っていく妹を見届けてから時計を見る。
 朱里。記憶の中の母親に、年々よく似てきた。それとも自分が似ていると思い込んでいるのか。
 どっちでもいい。守ってやらなきゃいけない。妹を母親にするわけにはいかない。それは、自分の役目だから。
 それでも家族の中で一人の女性として、背伸びと責任感を持ち始めた。生意気さには気をつけないと、その背伸びで崖から落ちかねない。そんなことは絶対にさせない。

 ―――卵の殻は綺麗に取れた。卵の殻。まあ食べても問題ないはずだが、カルシウムの欠片なのだから。

(砕け、た)

 ダメだ!

「……っ」
 世界が回る。滲んで消える。
 吐き気がする、重力に逆らえない。一応意識では、血の気が引いたと瞬間で解る。が、どうしようもない。
 鈍く甲高い音を立ててシンクにボウルがぶつかった音を聞きながら、ホワイトアウトしかける視界に必死で意識を繋ぎ止める。立っていられなくなってそのままずるずる流し台に正面からもたれかかった。情けない格好で。自分にはお似合いだと思う、そんな余裕はありながら。

   + + + + +

 ……こんな日は、十中八九最悪だ。

 特に昨日のように無理をして遊びまわった次の日なんかは、体調も手伝ってどうしようもない。元気だと思っていてもいきなりぶっ倒れかけることはいままでにも何度かあった。後ろから殴りかかられたみたいな気分になりやすい。卵の殻程度で。
 いくら十代でも、無意識に体は悲鳴を上げるんだろう。
 こんな時に、あの夢をよく見る。何度も何度も見る、懐かしい夢。同じ同じ鮮明な夢。夢と現実の境目の無いような、リアルな。
 だからこそ―――。

「にーちゃん!!?」
「!? 朱里…?」
 どうやら、まだ寝てなかったらしい。なんとかシンク下の収納スペースに背を預けるように座り込んだところへ、駆け寄ってくる。
「…………」
 どうしたらいいかわからないとおろおろする姿を見て、動悸は治まらないが気持ちは落ち着いた。
 しばらくすればなんとかなるだろう。なんなら学校は休んでもいい、たまには。
「大丈夫。お前が元気なら」
 だるいが、ゆっくり笑いかけてやれば、なんともないと解ったらしい。
 精一杯の不安そうな顔で覗き込んでくる。心配なのはこっちだっていうのに。
「うん、朱里はぜんぜん平気だよ?」

 朱里。

「そうか」

 朱里。

「なら、俺は大丈夫だ」

 死んだ母に、良く似た妹。


end.